山陰合同銀行

My Life is... #50

#50 松江市役所 武田芳治さん

#50 松江市役所 武田芳治さん

市民の皆様の縁の下の力持ちに!

  • ─ 松江市役所に入ったきっかけは?

     小さい頃から水泳競技をしていました。将来も水泳に関わりたいと思っていたので、大学は水泳で推薦入学を試みましたが…失敗に。すると担任の先生から「武田君!いい就職先を見つけたよ!市役所職員だよ」と、薦められたのは松江市給食センターの調理の仕事でした。「公務員の仕事でもあるし、好きな水泳をする時間もきちんととれる仕事だよ」と紹介していただきました。家で包丁を持ったことも皿を洗ったこともなかったので一抹の不安はありましたが、まずはやってみようと思い、就職することを決めました。
     10年程勤めたときに給食センターが民間委託となり、事務職である松江市学校給食会へ1回目の出向をしました。その後、保険年金課で保険料の支払い等の相談業務を担当し、次は今の部署である観光文化課へ。40歳のときは、2回目の出向先である松江商工会議所へ行き、43歳のときに3回目の出向を。場所は東日本大震災に遭った岩手県陸前高田市でした。松江市職員の中でも出向の回数は多い方だと思います。

    ─ 仕事内容を教えてください。

     春から、古巣である観光文化課へ戻ってきました。「観光」と名が付く通り、県外・海外からの観光客をどのようにして松江に来ていただくか、また宿泊客をどのように増やすかを日夜考えています。今、力を入れていることは〝松江の夜の魅力を高めること〟です。松江城のライトアップや秋季に行われる夜の灯りイベント「水灯燈」もそうですが、最近は昔でいう土曜夜市や繁華街で行われるバル、日本酒のイベントなどが増えてきました。
     持論ですが、行政が市民の皆さんに「〇〇をやりましょう!」と言ってもこれまで長く続かなかった経験が数多くあります。やはり地元の人たちが主体となり盛り上がる方がうまくいくのです。市役所職員は各地域で活動している人たちを結び付け、方向性を一緒にすることで相乗効果を上げるなど、皆さんの活動をより良くする縁の下の力持ちだと考えています。

たくさんの人たちとの出会いが財産に!

  • ─ 仕事で心がけていることは何ですか?

     「人の嫌がることを積極的に取り組む」ことです。給食センターで残飯を始末することもそうでしたが、観光部署なら週末のイベントが多く、土日出勤でも積極的に手を挙げて行っています。
     以前、保険年金課の上司から「お前はここの課ではなく、他の課に変わり、外に出た方がいい!」と言われました。内勤より、外に出て駆け回っている方が性に合っていると思われたのでしょう。加えて「ここから10年頑張ると必ず良いことがあるから!」と言われました。当時はよく理解していませんでしたが、それから35~45歳を自分の中で〝頑張る10年〟と思って仕事をしてきました。現在46歳。「さて、これからはどうしよう?」と思ったときに、今度はまたある上司から「何を言ってるんだ、今は頑張る50歳だ!」と言われ、5年引き延ばされました(笑)。

    ─ 市役所の良いところを教えてください。

     これまで3回も出向しました。保険年金課にいたころにも、中国に1カ月出向しました。
     裏を返すと海外や民間企業、被災地である陸前高田市の異動は、いわば大企業の全国転勤並みで、一職員がなかなか経験できることではありません。松江商工会議所に出向したときは、地元の経営者の皆さんと出会い、イベントなどでも一緒に活動しました。さまざまな場所でいろいろな経験ができました。これからは、そこでつながった人脈を生かして、市民の方と一緒に汗をかき、つなぎ役になれればと思います。


  • どんな時でも笑顔を絶やさずに

  • 同僚との打ち合わせ

  • 市民の皆さんの声を聞きに外出

人とつながり、結び、広げるまちづくりを

  • ─ プライベートのことを教えてください。

     蕎麦が大好きです! 小さい頃は両親が共働きだったので、祖母に近所の「そば田村屋」によく連れて行ってもらいました。老夫婦2人でやっている小さな店で、こしのある蕎麦です。ここの蕎麦は自分のソウルフードです!
     家族は妻と小学校1年生と4年生の子どもがいます。出向で2年間、松江を離れ、子育ては妻に任せっぱなしでしたので、今は家族と一緒に過ごす時間を大切にしています。休日は、子どもが通うスポーツクラブの応援に行ったり楽しいですよ。
     家族との1番の思い出は、陸前高田市へ出向している間の夏休みに妻と子どもが遊びにきて、6畳1間の仮設住宅で生活したことです。被災地を実際に見て被災者の方々と共に過ごし、命の大切さや復興パワーを間近で感じられ、家族にとっても良い経験でした。
     家族を亡くされた陸前高田市の職員さんからは「今あるものを当たり前にあると思うなよ。これが明日になれば一瞬にして無くなるかもしれないのだから…。家族を大切に!」と言われジーンと心に響きました。陸前高田市で暮らしたことは大きな財産となりました。

    ─ 将来の夢を教えてください。

     自分がまだ頭が柔らかい時に、3回の出向に出かけ、いろいろな経験をさせてもらいました。役所という箱の中だけではなく、外に出て多くの人と出会うことでたくさんの貴重な話や体験をしました。今後、自分が歳を重ね後輩ができたときに、後輩にも自らの足で歩き、汗をかき、さまざまな経験をしてほしいと思います。
     「井の中の蛙大海を知らず」ではなく、地域へ、民間の中へ、県外へ、海外へ…と飛び立つ経験を重ねてほしいです。そして自分も凝り固まらず、視野を広しくていきたいです。
     また、市民の方から「身近な存在」でありたいと思っています。「〇〇がしたいです」と相談があったときに「あー。それはムリムリ」と門前払いするのではなく、「一緒に考えましょう!」と話をしています。それが、もし実行できなかったとしても、積み重ねていくと後々大きなことになっていくと思うからです。
     陸前高田市でも、町が流されゼロの状態から市民の皆さんが立ち上がり、考え、行動に起こしたからこそ徐々に復興してこれたのです。岩手の皆さんの行動力からパワーをもらいました。それを、松江市で生かしていきたいと思います。


  • 陸前高田市では高校水泳部のコーチを。

  • 《ソウルフード》の「そば田村屋」さんのおそば。

  • 家族で過ごした陸前高田市にて。

  • 松江市役所 観光振興部 観光文化課 観光係

    松江市は夕景の美としじみ漁で知られる宍道湖、大山隠岐国立公園に指定される島根半島など豊かな自然を有し、また、松江城を中心とした城下町の風情、古代出雲文化発祥の地として栄えた神話や社寺・遺跡など、歴史・文化が息づくまちである。
    年間入込客数は9,982千人(H29)、年間宿泊客数は209万人(H29)と山陰を代表する観光地であり、全国では京都、奈良と並ぶ国際観光都市に位置付けられています。
    こうした自然や歴史・文化、市内に点在する観光施設などの観光資源を有効に活用し、入込客数や宿泊客数の増加につなげるため様々な事業を展開しています。
    また、平成30年4月には中核市に移行しました。
  • 柄木孝志